良くあるタイトルの記事に対して、なんで「情報教育」カテゴリーなんだろと思う人もいるでしょう。
この記事は、「情報教育」の当事者として自戒をこめたものになっていて、私自身も反省せねばと思ったからです。
■日経ビジネスOnLine
伊東 乾の「常識の源流探訪」 2011年2月1日(火)
●「フェイスブック」の芽を俺自身いくつもツブシてきた!
なぜ日本で「ツイッター」は生まれなかったのか
工学部の研究ベースでは「技術的に高度なソリューション」が評価の対象であって、こういった泥臭い現場の話はリサーチとしては認められません
そうですよねー。「運用」は研究じゃないから研修してないと大学内で陰口たたかれていた、という方も少なくないですよね。で、学内のシステムが止まるとすぐに文句言われるしなー、なんてことになってたわけですよねー。
でもここ数年は、ようやく「運用技術」の技術開発が研究と認められるようになってきたんじゃないですかね。まだだめかな。
そして、「アイデアをもとにプロトタイプを作って動かしてみました」ということはあっても、それが「実用化」まで行くのはほとんどなかったと思います。大学の研究成果であるシステムをベースに製品化しようとしたら、結局作り直ししたとか、再設計になった(つまりアイデアだけしか利用できなかった)という話が多いんじゃないかなということです。
これは、運用が研究として認知されないということだけではなく、
以下、僕の「人様からお金をいただくということは・・・」式の、学生が閉口する処世訓が続きます。
というような、学生に対して事業化というか「アントレプレナー」の芽を摘んでいたのではないかということです。
これって、企業でもそうですよね。アイデア提案があってもそれを膨らます方向の意見より、つぶす意見の方が多いのではないかということです。
私もそうでした。つぶす意見をよく言いました。私は
1)私のマイナス意見はすぐに思いつく程度のこと
2)それを説得できないということは、リサーチが不足
3)「何とかします」という「根性だけ」ではだめ
4)「~を解決できればめどが立ちます」ならOK
5)それくらいを言えなければ、事業化し始めたときに壁にぶち当たってとん挫する
というつもりだったのですが、「お前は後ろ向きすぎる」と上司に怒られたものです。
今思えば、4)をもっと言い出せる雰囲気にしておけばなぁと反省しきりです。