久しぶりにメモ代わりに書いておきます。
実は100校プロジェクトのホームページは残っています。
http://www.cec.or.jp/es/100school/Google Chromeだと文字コードを
その他のツール → エンコード → 日本語(ISO-2022-JP)
と指定しないと文字化けして読めないでしょう。
この中の、「
いままでのあゆみ」→「
プロジェクト開始まで」 に
平成5年度の第3次補 正予算により「特定プログラム高度利用事業」を開始しました。この「特定プログラム高度利用事業」の1プロジェクトである「教育ソフト開 発・利用促進プロジェクト」の主要な実験テーマの1つを実施するために開始 されたものが、100校プロジェクトであり、正式名称は「ネットワーク利用 環境提供事業」と言います。
と書かれています。
つまり100校プロジェクトはメインのプロジェクトだったのではなく、プロジェクトの一部にすぎなかったわけで、メインのプロジェクトはこけたも同然だったわけです。
これが成功したのは、当時のゴア副大統領が「100校プロジェクト」に注目しており、ゴア副大統領の情報ハイウェイ構想の一歩先を行ったものとみなされて情報の逆輸入が起こった為でもあります。
また文部省がメインではなく「協力」関係でもあり、当時の通産省の「実験」の一つにすぎなかったため、学校が研究指定を受けたときのように「成功ありき」の報告を求められず、
こんなことをして失敗したというのも「成果」とみなされたからです。ですから、「なんでもやってみなはれ」状態(というか、それが前提で募集した)だったのです。
まとまった冊子も公開されています。
インターネット教育利用の新しい道 もう一つは、教育関係者だけではなく、情報通信、とくにインターネットの専門家たちが協力していたのも特徴です。当時はプロバイダ事業が郵政省に認可されるかどうかという時期でした。文部省というか、政府としてもインターネットは正規の通信システムとして認めておらず、文部省もインターネットは研究対象とみなしていませんでした。
当時の「教育工学」の人たちは「パソコン通信」にのみ注目しており、インターネットなんてという感じだったはずです。ですから、「地域学術ネットワーク」(NORTH、TiA、TRAIN、
TCOTCP、ORIONS, NCA5,CSI、KARRNなど)が協力しなければこのプロジェクトの基盤である「インターネット通信」はできなかったのです。
そして,100校プロジェクトの評価が高まるにつれ、インターネット研究者の人たちは徐々に委員からはずれて、教育研究者の方たちが委員になっていきました。
とても印象にのこった研究があります。
平成14年度 Eスクエア・アドバンスで採択された「高品質映像伝送による次世代型遠隔交流の実証実験」というプロジェクトです。
このプロジェクトは、伝送遅延が極端に少ない(10分の1秒とか、100分の1秒)テレビ会議システムの研究です。
しかし、中間報告会での評価は「いまさらインターネットを利用したテレビ会議のどこが先進的なのか?」というものだったそうです。伝送遅延の少なさを評価できる「教育関係の研究者」がいなかったのです。
報告書はここでみられます。
http://www.cec.or.jp/e2a/other/pdf/e01.pdfなんと、テレビ会議システムをつかって、
「3校で遠隔合唱」しているのです。
成果発表会では、東京の会場から、広島の大学の先生とリアルタイムの授業をして、評価担当者の度肝を抜いたことでしょう。
いまある技術と、それを活用するとどんな授業ができるようになるか。
やってみて「もう少し」ということが見つかると、それを解決しようとする技術開発なり教育方法の工夫なりのアイデアをぶつけあう。そういう正のスパイラルが100校プロジェクトの始まりにはありましたが、徐々に失われていったわけです。
それはなぜなのか、ということについては思うことはいろいろありますが、ここでは述べないことにします。
スナック NEL での会話をみていて、
なぜ100校プロジェクトが実施できたのか
100校プロジェクトを支えていたものは何か
が語られていなかった気がしたものですから、久しぶりにここに書いてみました。